5月も半ばを過ぎると、春からの新生活で気を張ってきた人たちは、疲れが出始めている頃なのではないでしょうか。
これから森を一緒に歩く彼女は、今日で5回目になります。彼女には、2人のお子さんがいて、普段からよく、森林公園まで遊びに行くそうです。そこには、たくさんの植物や樹木があり、少しずついろいろな質問をお子さんがしてくるようになったそうです。しかし、なかなか答えに詰まることも多く、これをきっかけに、ご自身でも自然のことを知りたいと思うようになったそうです。そんな時、この「森林散策カウンセリング」を見つけられ、今年の1月から始められました。
さあ、緑豊かになった森で、どのようなことを彼女は学んでいくのでしょう。
―ずいぶん葉っぱがこんもりとしましたね。初回の頃とは全く違う姿になっています。
――本当ですね。
―新緑はすっかり終わり、葉っぱが青々としましたね。
――はい。本格的に、夏に向かい始めたようです。
―あ~、それにしても、あっという間に時は過ぎていきますね。
と、すっかり森の変化に驚かされた彼女は、そのままカウンセラーと森のなかへと進んでいきました。ただ、今日は、いつもよりも彼女の歩くスピードは遅く、足取りが重そうです。話す声にも張りがなく、だいぶ疲れているように見受けられます。
―4月から、上の子どもが小学生になったんですが、学校まで電車を使って通学するようになったんです。はじめの数週間は、親が送り迎えをして、それ以降は、一人で通いはじめています。朝は、今までよりも2時間早く起きるようになって・・・すっかり生活リズムが変りました。事前準備と思って、3月から早く起きる練習はしていたんですが、いざ娘が学校に行き始めると、いろいろなハプニングは起こるわ、思うように進まないわで、ペースをつかむまで結構時間がかかりました。
――そうだったんですね。毎日、ほんとに頑張ってこられたんですね。
―はい・・・、ありがとうございます。ただ・・・、慣れないことをしたせいか、なかなか疲れが抜けていかないんですよね。
――それは辛いですね。今日はゆっくり歩いていきましょう・・・・・・。あっ、いいところに!
と、カウンセラーは言って、林床近くに生えている小さな樹木の葉を一枚千切って、彼女に渡しました。
――おそらく、この葉っぱをご存じだと思います。ちょっと、嗅いでみてください。
―わっ、すごい香り!あ~でも、この匂い…知ってます!え~と・・・、あっ!もしかして、サンショウですか?
――はい、その通りです。香りが強いですよね。今、葉を千切って渡しただけなのに、まだ私の手にも香りが残っています。
―強いですね~。でも、いい香り♪何回でも嗅ぎたくなるし、なんだか鰻を食べたくなってきますね♪
――そうですよね。それと、こっちにはカキノキの花が咲いていますよ。
―えっ?カキノキ?あの、果物の柿の木ですか?食べられる?
――はい、あの柿の木です。花の姿は、既に小さな柿のようにも見えますよ。
―あの、先が黄色くなっている花ですか?
――はい。横からも見ると、さらに分かりやすいです。
―あ~~~~、本当ですね。わぁ~かわいい♪生まれて初めて柿の木の花を見ました。果物はよく食べるけど、花なんて見たこともなかったです・・・。せっかくなんで写真を撮りますね。
と言って、彼女は、スマ―トフォンを取り出し、カキノキの花を撮影し始めました。右側から、そして、左側からと、色々な場所に立って花を眺め、その都度、丁寧に写真を撮っています。ひとしきり花の撮影が終わると、さっき嗅いだサンショウの葉があるところまで戻っていきました。そして、そこでもまた、その小さな木に向かって、撮影ポイントを探しては、楽しそうに写真を撮影しています。それが終わると、彼女は、
―あっ!あっちには、白い花がたくさん咲いていますね!
と、カウンセラーに向かって叫んだ後、小走りでその花のある場所へと向かって行きました。今度は、片手にスマートフォンを持ち、花を覗き込むように見つめています。そして、首を傾けて、パシャパシャと連打していました。カウンセラーは、しばらくその様子を見守り、ひと息、彼女がついたのを見計らって、声をかけました。
――それは、コアジサイという花ですよ。
―こあじさい?
――はい、お花屋さんで見るアジサイと違って、装飾花(ソウショクカ)のないアジサイなんです。
―ソウショクカ?
――はい、一見、花びらのように見えるものなんですが、実は、花ではなく、つぼみの時に内側の部分を守る役目をする「ガク」と呼ばれるものなんです。
―えーっ!水色や紫色などの部分は、花びらだと思っていました。色々知っていくと面白いです。このあじさいに派手さはないですが、とても優しさを感じる可愛らしい花ですね。
――はい、私もそう感じます。
―なんか、見れば見るほど、見とれてしまいます。
――魅了されてしまいますね。
―白い色しかないんですかね・・・・・・・・あっ、青い色も!
と、彼女はそう言って、またもやかけていきました。
―こっちの色も何とも言えない美しさがありますね~。どちらの色もいいな~♪
――いいですね。今日は、いろいろな花や香りが、私達を楽しませてくれますね。「毎日、頑張っているね」とか、「新生活は大変だったね」「毎日、ほんとうにお疲れさま」って、森全体が、労いの言葉をかけてくれているようです。
―うふふ♪ほんと、嬉しいです♪・・・・・・・・無邪気に花を楽しんでしまって、そのことすらすっかり忘れていたぐらいです・・・・・・・・・・・・・・・・・。今日は、思う存分、自分の思いのままに動いて、好きなように写真を撮らせてもらいました・・・・・・・そのお陰で、ものすごくリフレッシュしたようです。ありがとうございます!
と、彼女は、歩き始めた頃とは別人になったように、張りのある元気な声で話してくれました。
毎日、生活をしていく中で、時々、どうにもならないぐらい忙しい日々を過ごさなくてはならない時があると思います。目の前にあることをこなすだけで精一杯で、息つく暇もなく、自分の時間なんて全く取れない時が。しかし、それを続けていると、気づいた時には既に、体は動かくなったり、心がどうしようもなく重たくなったりしてしまうものです。
忙しい時だからこそ、無邪気に、自分の好きな事を、好きなように過ごす時間は、非常に尊いことだと思います。あんなにも目まぐるしく毎日過ごしてきたことを、すっかり忘れてしまうほどの時間と空間を過ごすと、頭の中がすっきりして、それまでごちゃごちゃしたことも整理できるようになるのではないでしょうか。そうなると、また新たな気持ちで、毎日を臨むことができるのだと思います。今日の彼女は、森に応援してもらいながら、気持ちを切り替えることに成功しましたね。自然のことを知りたいと思って始めた森歩きですが、しっかりと心のメンテナンスにもつながっています。
来月は、もう梅雨に入りますね。ぜひ、雨の中の森の様子を楽しんでいきましょう!
ブログ執筆者
竹内啓恵 https://jumoku.co.jp/info/b201906-2/
~森のメモ~
(1)サンショウ ミカン科サンショウ属
Zanthoxylum piperitum
落葉広葉樹の低木。北海道から九州の温帯に自生しています。羽状複葉の葉で、互生につき、その縁はギザギザの鋸歯になっています。山菜や鰻に欠かせない薬味として、私達にも馴染み深い樹木です。ぜひ、里山などの森林に出かけた時に見つけたら、生葉を千切って嗅いでみてください。
(2)カキノキ カキノキ科カキノキ属
Diospyros kaki
本州~九州の暖温帯。低地~丘陵の林内や林縁で見られますが、庭木や畑でよく植えられています。秋に熟す橙色の果実が特徴です。葉は強い光沢の大きな卵形で、樹皮は縦に細かく避けます。柿の葉寿司に見られるように、カキノキの葉には抗菌作用があるため、昔から食べ物にも使われてきています。
(3)コアジサイ アジサイ科アジサイ属
Hydrangea hirta
低木。関東~九州の温帯に自生します。丘陵地~山地の林内や林縁で見かけることができます。名前の通り、一般的なアジサイよりも小ぶりで、装飾花がないのが特徴です。ちなみに、青いコアジサイはこちらの写真です。紫色にも見えますが、白い色とはまた趣が異なりますね。