


春が過ぎると、静かだった森は一斉に目覚め始めるようです。あちこちで花が咲き、華やかで賑やかな雰囲気が、森の中に急速に広がっていきますね。
これから一緒に歩く彼女は、3か月前に退院したばかりの70代の女性です。昨年、突然意識を失い、そのまま救急車で搬送されて何度も生死の境をさまよう壮絶な経験をされました。長い入院生活とリハビリを乗り越えて、ようやく日常を取り戻した今、「これからは、やりたいと思ったことにはためらわずに挑戦しよう」と決意されたそうです。
今日で2回目の森歩き。さて、どんな出会いが、彼女を待っているのでしょう。
――いいお天気になりましたね。今日もゆっくり森を楽しんでいきましょう。
―はい。とても楽しみにして来ました。
――前回は、お疲れにはなりませんでしたか?
―多少疲れましたけど・・・、どちらかと言えば、心地良い疲れという感じで、特に問題はありませんでした。
――あぁ、それを聞いてほっとしました。今日も、無理をしないで過ごしていきましょう。
―はい、そうします。
と、少し会話をした後で、私たちは、森のなかへと入っていきました。
―つい、今の体の状態を忘れてしまって、以前のように動いてしまうと、すぐに息が切れてきちゃうんですよ。
――そうなんですね。
―そうなると、あぁ、昨年までとはすっかり変わってしまったんだなぁ・・・、思うように体が動かなくなったんだなぁ・・・と、思い知らされます。
――そう感じると辛くなりますね。
―はい。ときどき落ち込んでしまいます。でもね・・・、入院中のことを思い返すと、こうして外へ出かけられるようになって、大好きな自然にも触れられることができるようにもなって、それはもう嬉しいなあと思います。なにしろ、意識もなく、体も動くことができず、どうすることもできない状態だったものですから・・・。
――そうでしたか。こうして森へ来られるようになったことが奇跡のようですね。
―ほんと、皆がそう言ってくれるの!今でも、病院へ行くと、一番悪い状態を見てくれていたお医者さんや看護師さんには驚かれます。
と、彼女は嬉しそうに自分のことを話してくれました。
――ちょうど今、森のなかではあちこちで、花が咲き始めていますよ。
―ほんと!あそこにはタンポポが咲いていますね。
――はい。
―かわいいですね♪以前からも、タンポポは好きで、かわいいなぁと思っていたけど、今日は一段と、そのかわいらしさが増したように感じます♪
――それは素敵ですね。
―ふふふ(笑)♪ そう言えば、子どもの頃はよく、この綿毛を吹いて遊んでいました。
――そうなんですか。
―楽しくて、楽しくて!目につく綿毛を、片っ端から飛ばしたことがありましたよ。ずいぶん親からも怒られましたけど。
――まぁ!
―むやみに種を飛ばすのは止めなさい、って(笑)。
――そうですか。目に浮かぶようですね。
―ほんと、ついこの前のことのように感じるぐらい♪・・・、あらっ、こっちにも白い花が。これは何の花かしら?
――ニリンソウです。
―名前は聞いたことがあったけど、これがニリンソウなんですね。
――はい。花が2つ寄り添って咲く姿から「二輪草」という名前がつけられたようですよ。
―へぇ~風情のある名前ね♪
――名前に味わいがありますよね。そして、こっちの頭の上にも、花が咲いていますよ。
―このモミジの木のことかしら?
――はい、イロハモミジの葉っぱに混ざって花が咲いているんです。この赤い、小さいのが花なんです。
―わぁ~ほんと♪小さいけど、ちゃんと花の形になっていますね♪わぁぁぁ~初めて見た!かわいいわね~。いままで一度も、モミジに花が咲くなんて考えたこともなかったわ~。
と、少し興奮気味にしゃべった後、私たちは足を止めて花たちをゆっくり眺めることにしました。彼女は一つひとつの花びらに、そっと手を伸ばしながら、じっくりその美しさを味わうように観察していきました。
しばらくすると、彼女は私に向けて、
―植物たちは、こうやってきれいな花を毎年咲かせて羨ましいなぁと思うことがあるの。人間は、毎年ひとつ歳をとっていくし、若い頃の綺麗さなんて、どんどん失っていく感じじゃない。植物に嫉妬しても仕方がないんだけど、ついそう思う時があるの・・・。でもね・・・よくよく考えてみると、花が咲いている時間は短いし、同じ花でも、翌年咲く花は違うものだから、羨ましいと感じるのは、ちょっとちがうのかなぁとも思ってて・・・。
――昨年咲いた花が、今年も同じように咲くと、「おっ!」と思いますね。ですが、今、仰ってくださったように、植物や樹木にも寿命があり、花は子孫を残し、生き残っていくための戦略なんですよね。花粉を媒介してくれる生きものへのアピールで、綺麗な姿で咲くようです。
―確かに。生きていくためのしたたかさも感じますね。私なんて、ついそのきれいな姿に惑わされちゃって(笑)。
――やっぱり、綺麗な姿は、見ている私たちを喜ばしてくれますもの。
―(笑)・・・実はね!いろいろなことにも挑戦したいと思うのと同じぐらい・・・、私も、まだまだ綺麗でいたいって思うのよ~♪
と、彼女は、まるで少女のようにキラキラと輝く笑顔で話してくれました。
前回同様に、彼女とそれほど長い距離を歩いたわけではありませんが、森のなかのちょっとした自然が私たちの気持ちを和ませ、心を豊かにさせてくれました。とかく毎日元気で過ごしていると、小さな存在に気づかず見逃してしまいがちですが、今日の彼女のように、きらきらと輝く笑顔を与える存在が森にはあるのです。もしかすると、生死をさまよう経験をされた彼女だからこそ、その感覚がより敏感に感じるのかもしれませんね。しかし、綺麗に咲いている花を見て、「自分もまだまだ綺麗でいたい」と素直に言える姿は、とても素敵だなあと。カウンセラーの私まで、幸せな気持ちにさせてくれました。
来月も、どんな出会いがまっているんでしょうね。焦らず、ゆっくりと森を歩いていきましょう。
ブログ執筆者
竹内啓恵 https://jumoku.co.jp/info/b201906-2/
~森のメモ~
(1)セイヨウタンポポ キク科タンポポ属
Taraxacum officinale
2~12月に黄色い花が咲く多年草の帰化植物です。ヨーロッパが原産地です。北海道~沖縄と日本全国に分布し、荒地、空き地、道端、土手に生育しています。明治時代に食用に持ち込まれたものが野生化したと言われています。全草食べられます。また、タンポポコーヒーは、この植物の根を原料としています。
(2)ニリンソウ キンポウゲ科イチリンソウ属
Anemone flaccida
4~5月に白い花が咲く多年草の在来種です。北海道~九州に分布し、林縁、小川の縁に生育しています。1本の茎に2つの花が咲く、というのが名前の由来になっています。実際は、1つ~3つの花が咲くものもあります。白い花びらに見えるものは、がく片(雄しべ、雌しべ、果実を守るもの)です。
(3)イロハモミジ ムクロジ科カエデ属
Sapindaceae Acer palmatum
東北南部~九州の温暖帯に自生。日本の秋をいろどる代表的な樹木で、一般的に「もみじ」というと、この樹種を思い浮かぶ人が多いです。和名の由来の一つに、葉の5~7に裂ける裂片を「いろはにほへと」と数えたことと言われています。